法人のご案内

ごあいさつ

理事長のご挨拶

【 過去の理事長挨拶 】

ふたたび3.11を迎えて

 東日本大震災の発生から丸一年が経過しました。昨日の午後2時46分、いずこからか聞こえるサイレンの音に合わせて黙祷を捧げながら私は、失われてしまったもののあまりの大きさと、地域の再生のため私たちになにができるのかを考えていました。
 
   11日の新聞・テレビは、多くの紙面と時間を割いてこの1年を報じていましたが、その中で最も私の心に響いたのは、読売新聞朝刊の「編集手帳」でした。少し長くなりますが一部を引用します。
「使い慣れた言い回しにも嘘がある。時は流れる、という。流れない『時』もある。雪のように降り積もる。(中略)津波に肉親を奪われ、放射線に故郷を追われた 人にとって、震災が思い出に変わることは金輪際あり得ない。復興の遅々たる歩みを思えば、針は前にも進んでいない。(中略)口にするのも文字にするのも、気の滅入る言葉がある。『絆』である。その心は尊くとも、昔の流行歌ではないが、言葉にすれば嘘に染まる...。宮城県石巻市には、市が自力で処理できる106年分のがれきが積まれている。すべての都道府県で少しずつ引き受ける総力戦以外には解決の手立てがないものを、『汚染の危険がゼロではないのだから』という受け入れ側の拒否反応もあって、がれきの処理は進んでいない。羞恥心を覚えることなく『絆』を語るには、相当に丈夫な神経が要る。/人は優しくなったか。賢くなったか。(後略)」
 
   ここ郡山市では最近、使用不能となっていた公共施設が相次いで再オープンし始めています。また、幼稚園や小中学校、公共施設を優先した除染活動が毎日のように実施されています。ところが、実際に住み慣れた町を歩いてみると、至る所に建物の取り壊された空き地が目立つ一方で、遊び回る子どもたちの姿は消えてしまったままで、復興など遥かに遠いことを実感させられます。福島の復興を阻んでいる最大の障壁が、原発事故という重い十字架であることは言うまでもありません。原発からの避難生活を強いられている方々に対するアンケート結果では、「暮らしていた地域に戻りたい」、「地域が復興できると思う」と答える人の数が時の経過とともに減少の一途をたどっており、目には見えない放射線がコミュニティを分断し、最後のたよりであるはずの地域の「絆」まで引き裂いてしまった現実を浮き彫りにしています。
 
   もうひとつ、放射線の存在以上に復興を阻んでいるのが、「風評」という、やはり見えざる敵です。
   国や東電を糾弾する意図からなのでしょうか、放射線が環境や人体に与える影響に関する報道の中には、事実を十分に確認することなく、あるいは特定の事実を拡大解釈することによって、いたずらに不安をあおるものも見受けられます。
   最近も、週刊文春3月1日号は「郡山市の4歳児と7歳児に甲状腺がんの疑い!」という「衝撃スクープ」を掲載しました。私も含め、週刊誌は新聞広告の見出しだけ眺めていれば十分という方がほとんどでしょうが、郡山在住のお母さんたちがこの見出しに青ざめたことは想像に難くありません。それ以上に、郡山から離れている人たちが「郡山には近づかないでおこう」と考えたとしても不思議ではありません。
   この記事はその後、実際に子どもたちの甲状腺エコー検査を行った医師本人が事実無根と全否定し、お粗末な幕切れを迎えました。しかし、出版元による訂正や謝罪は一切ないまま、現在も風評が一人歩きしています。
 
   低放射線量の長期にわたる被爆が人体に与える影響をめぐる報道のあり方にも、多くの医療従事者が相当の違和感を覚えています。「被曝量が年間100msvを超えるとがんによる死亡率が高まる」という科学的知見に関して、この閾値(しきいち)未満の被爆リスクをどう捉えるべきかについての正解は誰も持っていないはずなのに、これを他の健康リスクと比較し(たとえば100msvの発がんリスクは受動喫煙とほぼ同等など)「ほとんど心配ない」と発言する学者はただちに「御用学者」のレッテルを貼られ、国や東電とともに糾弾の対象とされる・・・。そこには、言論弾圧にも似た危うさを感じてしまいます。
   放射線のリスクを過小評価することがあってはなりませんが、万一、エビデンスに立脚することなく「危険とさえ言っておけば間違いない」という思考停止状態に陥るなら、それは地域の復興にとって大きな足かせとなることを、私たちは真剣に考えなくてはならないでしょう。
 
   ネット上に氾濫する情報にも、匿名性を隠れ蓑として悪意のある情報が流されることが少なくありません。昨年9月、「医師・看護師の離職が深刻化する福島」 という雑誌の記事を受けて、掲示版サイトには、「そりゃそうだろ 医学知識のあるヤツほど逃げたい罠(原文ママ)」などの書き込みが溢れましたが、この記事が警戒区域および緊急時避難準備区域の病院も含む調査結果を伝えるものであることを指摘する人は一人もいませんでした。
   現に、私たちの病院では、原発で深刻な事態が発生した後も医療スタッフの離職が増えるという事態は起こりませんでした。それは決して医療人としてのヒューマニティだけで踏みとどまっていたわけではなく、当時の郡山の状況が、科学的根拠に立脚するかぎり避難を必要とするような状況にはないと判断していたからです。
 
   今年の新春の挨拶の中で私は、当法人が「同じ災害を経験した者だけが持ちうる細やかな心遣いをもって診療に当たるとか、診断のつく病態以上に患者さんの痛みに思いを至らせる」ことに従来以上に力を注ぎ、地域の安心を支えていきたい、と書かせていただきました。
   再び迎えた3.11を期に、この誓いを改めて職員全員で共有し、実践すること。私たちは、この責務をきっちり果たすことに全力を傾け、地域の復興を後押ししたいと考えています。

(2012.3.12 記)

「最新のあいさつ」に戻る