理 念
「患者さん第一」
心のかよう医療を
- Core Value
- Patients First.
- Mission
- To provide the community compassionate health care with services of the highest quality.
公益財団法人 湯浅報恩会
寿泉堂綜合病院
寿泉堂香久山病院
寿泉堂クリニック
寿泉堂香久山居宅介護支援事業所
郡山南部地域包括支援センター
いずみ訪問看護ステーション
沿 革
湯浅報恩会の
成り立ち
「鉄道医者」と呼ばれた、郡山で最初の医学士「湯浅 為之進」
公益財団法人湯浅報恩会の歴史は、明治20年(1887年)、山口県豊浦郡出身の湯浅為之進が、帝国大学医科大学(東京大学医学部の前身)を卒業して間もなく、開通したばかりの東北線に乗り、当時の終点であった郡山駅に降り立ったときから始まります。現在では新幹線で1時間半ほどの東京〜郡山間も、当時は8時間の汽車の旅で、郡山は人口わずか7000余の村に過ぎませんでした。23歳の為之進は、鉄道の終点の北の町とはいかなる場所なのか、自分の目で見てみようという好奇心にかられてこの地を訪れたものと思われますが、車内で偶然に隣り合わせた郡山の旧家・川口半右衛門氏の強い勧めなどにより郡山に落ち着くこととなり、自分の誕生日8月20日に、川口家の隠居所でささやかな「湯浅医院」を開業しました。村の人々は、当時は高嶺の花でまだ乗ったこともない汽車で郡山にやって来た為之進のことを「鉄道医者」と呼んだということです。
明治36年に稲荷町に新築された欧風病院は、
当地における近代的病院の先駆となりました。
郡山地方では最初の医学士であった為之進は、年中無休で内科・外科のほか眼科・産婦人科までも一人でこなし、またこの地で初めての開腹手術を行ったことなどから、たちまちその名を知られるようになりました。明治22年(1889年)には、1県1校の中学校として開校された福島県立尋常中学校(現在の安積高校)の校医にも選出され、郡山に骨を埋める覚悟を固めた為之進は、明治24年(1891年)、郷里から両親と妹を呼び寄せるとともに、医院の名を「寿泉堂医院」と改めました。「寿泉堂」の名は、自院が地域における健康と幸福の源泉でありたいという願いと、帝国大学を卒業後に外科手術の実習をしていた東京の順天堂医院にちなんだものであると思われます。 医師としての評判も高まり隠居所での診療も手狭となった為之進は、明治26年(1893年)、稲荷町(現在の中町)に古材を用いた医院を建築し、門下生を採用し手術を教えるなど、医学関係者の育成にも力を注ぎました。明治36年(1903年)には、それまでの古材で建てた医院を取り壊し、総2階建の洋風病院を新築、内科、外科、産婦人科、眼科、耳鼻咽喉科、歯科の6科それぞれに専門医を配した診療体制は、当時としては堂々たる陣容で、当地における近代的病院の先駆となりました。そして明治44年(1911年)、増え続ける患者に対応するため、燧田地内(現在の寿泉堂綜合病院敷地)に700坪の敷地を得て、正面にバルコニーを持つ延べ200坪の洋風建築の寿泉堂病院本館を新築、稲荷町の病院も本館裏に移築し、今日へと続く病院の原型を完成させたのです。
身をもって貫いた「患者第一主義」
為之進はまた、明治40年(1907年)に結成された安積郡医師会(郡山医師会の前身)の初代医師会長を務めたほか、医師会経営による「私立産婆看護婦講習所」(現在の郡山准看護師高等専修学校)の設立に尽力するなど、地域の医療基盤整備にも尽力しました。病院の職員には、日頃より「縁の下の力持ちたるを厭うべからず」、「医者は一生が修行だ。死ぬまで勉強を怠ってはならぬ。ちょっとでも怠ると日進月歩の医学に取り残される。ヤブ医者になってはならぬ」と説き、晩年、持病の胃潰瘍が悪化し数日間吐血が続いた時にも、「医者というものは自分が死ぬまで患者を診るものだ。自分が動ける間は患者のために尽くすものだ」と平常通りの勤務につき、身をもって「患者第一主義」を貫きました。
個人病院から、医療法人へ。
為之進の死後も病院は、大阪医科大学(現在の大阪大学医学部)を卒業後にフライブルク大学で病理学を学んだ二代目院長・湯浅大太郎の近代医療への情熱の下、郡山の発展と歩調を合わせるように、量的にも質的にも発展し続けました。しかし、日中戦争の勃発、太平洋戦争への突入により、医師の応召出征による医師不足、医薬品の調達困難、また、終戦後には未曽有のインフレという混乱の中で激しい労働運動の嵐にも見舞われ、混迷の時代も経験しました。このような時代背景の中、個人病院としての運営に限界を感じた大太郎は、昭和26年(1951年)、院長個人の財産であった土地、建物、施設すべてを寄附して県内で初めての医療法人(財団)設立を認可されました。昭和28年(1953年)には、さらに公益化を推進するため、民法34条に基づき「財団法人湯浅報恩会」の設立を申請、認可され、組織としての基盤を整えました。
130年余が経った今日でも初代院長・為之進が唱えた
「患者第一」の精神が変わることなく受け継がれています。
現在、公益財団法人湯浅報恩会は、急性期病院である寿泉堂綜合病院を核に、慢性期医療とリハビリテーション機能に特化した寿泉堂香久山病院、健診センターと透析センターから成る寿泉堂クリニック、訪問看護ステーション、居宅介護支援事業所、地域包括支援センター、関連施設として、精神病院である寿泉堂松南病院、介護老人福祉施設スプリングガーデンあさかを有し、いわゆる「保健・医療・福祉複合体」として、地域からのニーズに幅広く対応しています。
創業から130年余が経ち、郡山の町も、医療を取り巻く環境もまったく様変わりしましたが、湯浅報恩会で働く職員の意識の根底には、今日でも初代院長・為之進が唱えた「患者第一」の精神が変わることなく受け継がれています。
略年表
1887年 | 明治20年08月 | 湯浅為之進、岩代国郡山村大町、川口半右衛門氏の隠居所を借り受け湯浅医院開業 |
1891年 | 明治24年 | 寿泉堂医院と改称 |
1893年 | 明治26年 | 稲荷町に古材を用いて医院建築、柴田俊真と共同経営 |
1903年 | 明治36年11月 | 稲荷町の医院を取り壊し、総2階建洋風建築の寿泉堂病院を開設 診療科目:内、外、婦、耳、眼、歯 |
1907年 | 明治40年11月 | 安積郡医師会が結成され、初代会長に湯浅為之進就任 |
1911年 | 明治44年08月 | 燧田91(現寿泉堂綜合病院敷地)にバルコニー付き洋風病院を新築、移転(病床数50床) 東大・近藤外科より野口秀一郎初代外科部長就任 |
1915年 | 大正04年04月 | 東大・佐藤外科より鳥海克巳外科部長就任 |
1919年 | 大正08年03月 | 米国製レントゲン装置キング2号導入 |
1927年 | 昭和02年12月 | 湯浅為之進死亡、鳥海克巳院長代理に就任 |
1929年 | 昭和04年04月 | 湯浅大太郎、第二代院長就任 |
1935年 | 昭和10年04月 | 木骨金網コンクリート造新病棟竣工 |
1939年 | 昭和14年01月 | 軍委託マラリア患者40人入院 |
昭和14年12月 | 陸軍省嘱託 | |
1940年 | 昭和15年04月 | 鉄道省嘱託 |
1944年 | 昭和19年06月 | 日赤及び日本医療団より買収交渉あるが、断る |
1945年 | 昭和20年04月 | 病院東側及び北側住居、焼夷弾被爆により焼失、延焼は免れる |
昭和20年07月 | 郡山駅1トン爆弾直撃、病院にも被害 | |
1949年 | 昭和24年10月 | 医師実地修練病院指定、完全給食承認 分娩室、新生児室、研究室、看護婦当直室新設 |
1950年 | 昭和25年12月 | 管理棟、巽病棟、南病棟新築(病床数116床) |
1951年 | 昭和26年04月 | 小児科新設 |
昭和26年09月 | 医療法人(財団)寿泉堂病院設立 | |
昭和26年10月 | 救急車購入、結核予防法指定医療機関 | |
1952年 | 昭和27年04月 | 「綜合病院」の名称使用許可され、寿泉堂綜合病院と称する |
1953年 | 昭和28年07月 | 民法第34条に基づく財団法人湯浅報恩会を設立、理事長に湯浅大太郎就任、医療法人は休止法人となる(病床数140床) |
1954年 | 昭和29年03月 | 香久池に附属香久山療養所新築(病床数一般10床・結核50床) |
1955年 | 昭和30年10月 | 湯浅大太郎、病気のため院長辞任し理事長に専任、善積忠典、第三代寿泉堂綜合病院長就任 |
1958年 | 昭和33年08月 | 附属香久山療養所、独立し病院となる |
1962年 | 昭和37年05月 | 湯浅大太郎死亡、湯浅音枝、第二代理事長就任 附属准看護婦養成所開設 |
昭和37年07月 | 寿泉堂綜合病院改築第一期工事落成(病床数206床) | |
1964年 | 昭和39年09月 | 寿泉堂綜合病院、救急告示病院に指定 |
1966年 | 昭和41年02月 | 寿泉堂綜合病院改築第二期工事落成 |
1968年 | 昭和43年08月 | 医療法人為進会により、須賀川市滑川に寿泉堂松南病院を開設 (許可病床:精神・神経科104床) |
1970年 | 昭和45年11月 | 香久山病院改築第一期工事竣工(病床数一般80床・結核50床) |
1971年 | 昭和46年12月 | 寿泉堂綜合病院、特定疾患(難病)治療研究事業指定 |
1972年 | 昭和47年01月 | 寿泉堂綜合病院改築第三期工事落成(病床数326床) |
昭和47年04月 | 湯浅恭一、第四代寿泉堂綜合病院長就任 | |
昭和47年08月 | 寿泉堂綜合病院、優生保護法指定医研修病院 | |
昭和47年10月 | 寿泉堂綜合病院、外来ドック開設 | |
1974年 | 昭和49年06月 | 香久山病院改築第二期工事竣工(病床数一般161床・結核88床) |
昭和49年09月 | 寿泉堂綜合病院、日本病院会短期人間ドック実施病院指定 | |
1975年 | 昭和50年04月 | 寿泉堂綜合病院、郡山夜間急病センター二次病院協力 |
1984年 | 昭和59年03月 | 湯浅恭一、第三代理事長就任 |
1985年 | 昭和60年06月 | 加藤宗吉、第五代寿泉堂綜合病院長就任、湯浅恭一、理事長専任 |
1986年 | 昭和61年08月 | 寿泉堂綜合病院、許可病床増床し360床 |
1987年 | 昭和62年06月 | 「寿泉堂綜合病院創立100周年記念式典」を挙行 |
1988年 | 昭和63年02月 | 湯浅孝子、第四代理事長就任 |
昭和63年05月 | 香久山病院一部増床し(一般219床、結核40床)、特例許可老人病院の承認を受ける | |
1990年 | 平成02年06月 | 香久山病院の名称を寿泉堂香久山病院に変更 |
1992年 | 平成04年09月 | 寿泉堂綜合病院、救急医療功労者として厚生大臣より表彰 |
1993年 | 平成05年06月 | 湯浅昭一、第六代寿泉堂綜合病院長に就任 |
平成05年10月 | 寿泉堂香久山病院内にいずみ訪問看護ステーションを開設 | |
1994年 | 平成06年11月 | 寿泉堂綜合病院、寿泉堂香久山病院に20床を移設し340床 寿泉堂香久山病院、結核病床40床を廃止するとともに、綜合病院から20床を移設し239床となる |
1995年 | 平成07年04月 | 白岩康夫、第七代寿泉堂綜合病院長に就任 |
1996年 | 平成08年04月 | 寿泉堂綜合病院、救急部を開設 寿泉堂綜合病院、ハノイ友好病院より医師・看護師3名の研修を受け入れ |
平成08年11月 | 寿泉堂香久山在宅介護支援センターを開設 | |
平成08年12月 | 寿泉堂綜合病院、健診部を開設 | |
1998年 | 平成10年04月 | いずみ安積町訪問看護ステーションを開設 |
1999年 | 平成11年03月 | 寿泉堂綜合病院、(財)日本医療機能評価機構より一般病院種別B (200床以上の地域中核的病院)の機能評価認定を取得 |
平成11年09月 | 湯浅報恩会、障害者雇用の促進により労働大臣表彰を受ける | |
平成11年10月 | 寿泉堂綜合病院、開放型病院承認 | |
平成11年11月 | 湯浅報恩会、社会保険長官賞受賞 | |
2000年 | 平成12年04月 | 関連法人として設立した社会福祉法人いずみ福祉会により、市内 安積町に介護老人福祉施設「スプリングガーデンあさか」を開設 寿泉堂香久山病院、介護療養型医療施設(強化型)60床指定 |
平成12年05月 | 郡山市駅前1丁目に寿泉堂クリニック(健診センター、透析センター)を開設 | |
平成12年09月 | 寿泉堂香久山病院、開放型病院承認 | |
平成12年12月 | 寿泉堂香久山病院、許可病床変更による増改築(療養型病床群215床) | |
2001年 | 平成13年03月 | 寿泉堂綜合病院、開放型病院病床数を33床に変更 |
平成13年04月 | 寿泉堂香久山病院、長期療養型医療施設として(財)日本医療機能評価機構による病院機能評価認定を取得 | |
平成13年12月 | 寿泉堂香久山病院、ISO9001:2000 / JIS Q9001:2000取得 | |
2002年 | 平成14年04月 | 湯浅伸郎、第五代理事長就任 二宮規郎、第八代寿泉堂綜合病院長就任 寿泉堂松南病院、精神障害者福祉ホーム「パインフォレスト」開設 |
平成14年11月 | 寿泉堂香久山病院、環境保全に関する国際規格ISO14001を取得 | |
2003年 | 平成15年08月 | 届け出病床数並びに病床区分変更 寿泉堂綜合病院 一般305床、寿泉堂香久山病院 療養250床 |
平成15年10月 | 寿泉堂綜合病院、管理型臨床研修病院に指定 | |
2004年 | 平成16年04月 | 寿泉堂香久山病院、増築しリハビリテーションセンターを開設 |
平成16年07月 | 寿泉堂綜合病院、病院機能評価認定更新 | |
平成16年09月 | いずみ福祉会、痴呆対応型共同生活介護「グループホームすぷりんぐ」を開設 | |
2005年 | 平成17年06月 | 寿泉堂松南病院、共同住居「サザンホーム」開所 |
2006年 | 平成18年01月 | 寿泉堂香久山病院、医療機能評価認定更新 |
平成18年04月 | 寿泉堂香久山病院敷地内に「郡山南部地域包括支援センター」開設 湯浅報恩会、福島県より「仕事と生活の調和」推進企業認証 |
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2007年 | 平成19年04月 | 寿泉堂綜合病院専用立体駐車場「J −PARKING」オープン |
2008年 | 平成20年05月 | 寿泉堂クリニック、日本病院会・日本人間ドック学会による「人間ドック・健診施設機能評価」認定取得 |
平成20年12月 | 寿泉堂香久山病院、回復期リハビリテーション病棟運営開始 | |
2009年 | 平成21年06月 | 理事長 湯浅伸郎逝去 |
平成21年07月 | 湯浅大郎、第六代理事長就任 | |
平成21年07月 | 寿泉堂綜合病院、病院機能評価認定更新 | |
平成21年10月 | 金澤正晴、第九代寿泉堂綜合病院長就任 | |
2010年 | 平成22年11月 | 郡山市駅前一丁目第一地区第一種市街地再開発事業施設竣工式 |
2011年 | 平成23年02月 | 寿泉堂綜合病院、新病院(郡山市駅前1丁目1番17号)へ移転開院 |
2012年 | 平成24年09月 | 寿泉堂綜合病院、地域医療支援病院承認 |
平成24年11月 | 寿泉堂松南病院、精神科病棟改築工事完了 | |
2013年 | 平成25年04月 | 公益財団法人へ移行し、公益財団法人 湯浅報恩会と称する |
2014年 | 平成26年04月 |
寿泉堂綜合病院、病院機能評価 新体系 認定更新 |
2015年 | 平成27年07月 |
寿泉堂綜合病院、(公財)JHQCクオリティクラス「プロフィール認証」を取得 |
2015年 | 平成27年09月 |
寿泉堂綜合病院、電子カルテシステム導入(MIRAIs/PX) |
2016年 | 平成28年04月 |
寿泉堂香久山病院、病院機能評価認定更新 |
平成28年08月 | 寿泉堂香久山病院新病棟竣工 | |
2017年 | 平成29年07月 | 寿泉堂香久山病院、グランドオープン |
2018年 | 平成30年06月 | 寿泉堂香久山病院、ISO9001・ISO14001 / 2015年版 統合審査受審・取得 |
平成30年07月 | 寿泉堂綜合病院、(公財)日本生産性本部 JHQC クオリティクラス「A クラス認証」を取得 | |
平成30年09月 | 「寿泉堂松南病院創立50周年記念式典」を挙行 | |
2019年 | 平成31年04月 | 寿泉堂綜合病院、病院機能評価認定更新 |
令和01年10月 | 寿泉堂香久山病院、介護医療院開設 | |
2020年 | 令和02年03月 | 寿泉堂香久山病院、(一社)日本SDGs協会「SDGs事業認定」を取得 |
2020年 | 令和02年04月 | 寿泉堂綜合病院、COVID-19陽性患者受入れ病床 2床確保 |
2021年 | 令和03年04月 | 寿泉堂香久山病院、病院機能評価認定更新 |
2021年 | 令和03年07月 | 佐久間潤、第十代寿泉堂綜合病院長就任 |
2021年 | 令和03年10月 | 寿泉堂綜合病院、COVID-19陽性患者受入れ病床 4床確保 |
2021年 | 令和03年11月 | 寿泉堂綜合病院、COVID-19陽性患者受入れ病床 8床確保 |
2022年 | 令和04年08月 | 寿泉堂綜合病院、COVID-19陽性患者受入れ病床 10床確保 |
2022年 | 令和04年09月 | 寿泉堂綜合病院、電子カルテシステム導入(MIRAIs/AZ) |