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ごあいさつ

理事長のご挨拶

【 過去の理事長挨拶 】

ちょっとだけ、大河ドラマふう

 前回この挨拶文を更新してから、また一年が経ちました。
 報告が遅くなりましたが、昨年(2017年)8月20日、寿泉堂綜合病院は満130歳の誕生日を迎えました。幾度かの戦火と災害をくぐり抜けこれほど長いあいだ私たちが存続してこられたのは、地域の皆様に温かく支えていただいたおかげです。この場をお借りして心より御礼申し上げます。

 山口出身の初代院長・湯浅為之進が、開通したばかりの東北線の当時の終点・郡山に降り立ったのは明治20年(1887年)のことでした。明治中期という時代は、「富国強兵」や「文明開化」といった言葉が示すとおり、わが国が怒濤のごとく近代化を果たした時代です。同時にそれは、熾烈を極めた戊辰戦争が終結してまだ20年ほどしか経っていない時代でもありました。

 当地・郡山からすれば仇敵に近かったはずの為之進が、汽車で偶然隣り合わせた素封家・川口半右衛門氏の隠居所に滞在し、自分の誕生日の8月20日に「湯浅医院」を開業、当初は「鉄道医者」と揶揄されながらも「患者第一」を体現することによって徐々に信頼を得、ついに永住を決意するまでの物語は、私にもう少し筆力があれば「西郷どん」と「JIN-仁-」を足したような歴史ドラマに仕上がっていたに違いありません(すみません、だいぶ盛ってます)。

 為之進がやってきた頃の郡山は、地元の富商たちによって結成された「開成社」の情熱と内務卿・大久保利通の夢が呼応した国営「 安積あさか開拓・安積疏水開さく事業」が完成し(大久保は事業開始の直前に暗殺されます)、不毛の安積原野を猪苗代湖の水が潤したことに沸き立っていました。この開拓事業には、明治政府の「士族授産」政策に基づき、久留米藩を皮切りに鳥取、岡山、松山、土佐、米沢、会津、二本松、棚倉各藩の旧士族が、刀をくわに持ち替えて入植していました。

 為之進がこういった背景をどこまで知っていたかは定かでありませんが、おそらくは物見遊山気分でやってきた23歳の青年医師が、郡山に深い興味を抱くきっかけになった一つのエピソードが伝えられています。

 「汽車は終点の郡山へと近づいてきた。するとはるかかなたの高台に、西洋風の建物が見えてきた。何だろう、と為之進は思い、隣に座っていた紳士に尋ねた。紳士はよくぞ尋ねてくださった、とばかり事細かに説明した。『あの建物は学校です。金透校といって木戸孝允公が命名してくれました』」(平成9年8月発行「寿泉堂病院史」より)。

 先出の川口半右衛門氏から、遠方にそびえる白亜の建物が、同郷長州の藩士・木戸孝允の命名による金透校(現在の金透小学校)であると告げられた為之進は、「人口わずか7000余の町にこんな立派な学校を建てるとは、なんと教育熱心な町だ。この町は将来必ず発展するに違いない、と強く感じた」といいます。

 司馬遼太郎の代表作「坂の上の雲」は明治期の日本を描いた作品ですが、司馬は、明治維新から日露戦争が終結するまでの三十余年を「これほど楽天的な時代はない」と評しています。

  悲観的な空気が垂れ込める現在、その頃の「楽天的」な空気を想像することは難しいですが、為之進も、「庶民が国家というものにはじめて参加し得た集団的感動の時代」の昂揚感をまとい、「そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながらあるく」生涯を送ったのではないかと思われます。  

 開院から4年目に改めた「寿泉堂」という名前にも、「病院」という文字が持つほの暗いイメージとは対極にある、どこかしら「楽天的」なセンスを感じます。その名には、「病気や怪我に見舞われ訪ね来る患者さんにとって、当院と当院の職員一人ひとりが、こんこんと湧き続ける泉のように思いやりにあふれた温かい存在でありたい」という願いが籠められていると伝わります。

 この文章を書いている4月2日、湯浅報恩会では平成30年度の入社式が行われ、新たに迎えた80人の職員に歓迎の意を込めて辞令を渡しました。 本年度は診療報酬と介護報酬の同時改定に加え、第七次医療計画、第七期介護保険事業計画がスタートし、さらには国民健康保険の財政運営が国から県に移管される、要するに「医療費の適正化」に向けた締め付けが加速される、「惑星直列」の年なのだそうです。

 入社してくる職員の中には、残念ながら心身の不調を来たして退職する方もいます。生死と向き合う医療の現場が厳粛で張り詰めたものであることは避けられないことですが、私が職員に一番に望むことは、一人ひとりが医療の道を志したときの原点を忘れないで欲しい、ということです。それはきっと、「人間って素晴らしい。命ってすごい」という純粋で、ある意味、楽天的な思いだったはずです。「甘い」と言われるかも知れませんが、厳しい状況にあるときこそ私たちは、坂の上の青い天にある 一朶いちだの白い雲のみを見つめて、坂を登っていかなくてはならないのだと思います。

(2018.4. 2 記)

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