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ごあいさつ

理事長のご挨拶

【 過去の理事長挨拶 】

創立130周年を迎え、私たちがすべきこと

 東日本大震災が発生してからは、「理事長挨拶」を3月11日に更新することが私の習慣となりましたが、今年は業務に追われているうち新年度に突入してしまいました。私の中で震災と原発事故の記憶が薄れたわけではなく、福島第一原子力発電所の廃炉へ向けた道筋がなかなか見えてこない一方で、震災から6年が経った今ごろまた、国の原子力政策があまりにも行き当たりばったりで進められてきた事実が明らかとされていることに、ただただ呆れ、憤るばかりです。

 ある日突然、有無も言わさず生まれ育ったふるさとを追われた人たち、錯綜する情報の中で自主的避難に踏み切った人たち、そして、動揺し悩みながらも故郷で生きていく決断をした人たち・・・。「国策」に翻弄された末のいずれの選択もが、等しい重さを有しています。本年3月末、「帰還困難区域」を除いて福島県内の避難指示はすべて解除されましたが、失われた6年間が戻ってくることはありません。

 避難解除に合わせるかのように3月28日、大阪高裁は、大津地裁が出していた高浜原発3、4号機運転差し止め仮処分決定を取り消し、再稼働を認めました。科学・技術論や司法手続論を言う以前に、いわれなき風評を含む放射線被害に今も苦しむ福島県民の感情として、私にこの決定を受け容れることは到底できません。

 

 ・・・と、ぼやき漫才のようなことばかり書いていても仕方がないので、話題を変えて、本年8月20日、私たち湯浅報恩会は、山口出身の初代院長がここ郡山で小さな診療所を開院してから130周年を迎えます。1887年(明治20年)以来一世紀を超えて私たちが存続していられるのは、いつの時代にも地域の皆さんが私たちを必要とし、支えてくれたからであることに心より感謝を申し上げます。

 単に歴史があるから偉いということにはなりませんし、万が一にも歴史の上にあぐらをかくことがあってはなりませんが、新年度のスタートにあたり私たちは、二度の大戦や戦後の恐慌、そして東日本大震災をもくぐり抜け、とにもかくにも130年間踏ん張ってきたことに少しばかりの矜恃を抱きつつ、「患者さん第一」という創始者から引き継いできた理念を、あらためて胸に刻み直す所存です。

 

 わが国の人口構造は大きく変容し、「治す医療」から「支える医療」への転換が求められていますが、国は小泉政権の時代以来一貫して医療費抑制政策を採り続けており、本年度も経営環境はさらに厳しさを増すことが予想されます。昨年度、すべての都道府県において策定された「地域医療構想」の中では、(団塊の世代が後期高齢者に突入する)2025年における医療圏ごとの必要病床数が明記され、郡山市が属する県中医療圏における一般病床数(急性期病床数)は現在の3,778床に対し1,640床で足りるとされました。本「構想」は、病床削減の目標値を示すものではないとされながらも、今後の医療整備計画に反映されていく点で一定の拘束力を有しており、私たちにとってきわめて厳しい道のりが示されたことになります。

 このような環境の中で生き残っていくために私たちがなすべきことは、これからも患者さん、そして地域が真に必要としている医療を提供していくことに尽きます。それはあくまで患者さんの視点に立ったものでなくてはならず、自己満足であったり、病院の都合優先であったりしてはなりません。

 

 地域の人たちはなぜ当院を頼ってやってくるのか。それは、病や怪我からの「復活」と「再生」、あるいは「癒やし」を求めてやってくるのだということ。病院は祈りと希望の場であることを、厳しい時代であるからこそ、私たちは忘れてはなりません。

 私たちには、震災後の地域復興、ふるさとの再生のため直接貢献することはできないかもしれませんが、この地域に生きる人たちの不安に真摯に寄り添い、その痛みを自分の痛みと感じることから、次の10年を踏み出していきたいと思います。

(2017.4. 4 記)

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